アキさんの ミャンマー迷走日記 2003年5月14日(水)より
2003年5月28日(水)まで
(15日分)

■5月14日(水) 雨 バンコク → ヤンゴン
バンコク16時発のビーマンエアラインでヤンゴンへ。これが本当に首都の玄関口かと思うほど小さい空港。イミグレで悪評高い強制両替。通常200ドルを両替しなければならないのだが、5ドルの賄賂を支払い100ドル分のFECを手に入れる。タクシーで市内まで3ドル。闇両替屋でドルをチャット(以下「K」と記す)にチェンジ。噂通りドルとFECは等価ではなかった。日によってレートが変動するものの、1FECドルが780K。1USドルが950Kってとこ。さらにこのFECを市場で使うには現地通貨であるチャットに両替しなければならない。FECがそのまま使用できるのは、宿の支払いや外国人入域料金などの外人観光客施設に限られてしまうのだ。この制度は中国政府の入れ知恵らしいが、一刻も早く改善して欲しいものだ。外貨を獲得したいのは分かるが、とにかくあまりにもセコい手口だと思う。ミャンマー政府はトチ狂っている。こんな訳の分からんことしておいて、観光客誘致に力を入れているだとぅ? 片腹痛いわ! 夕食はインド料理屋でマトンカレー(1USドル)。夜中にも小腹が減ったので、宿の近くの沖縄というエスニックレストランでチョコレートシェイク(450K)を注文。味は普通。飯が不味いと評判のミャンマーだが、今のところ大した被害には遭っていない。というのも、多少の出費は覚悟の上でレストランを慎重に選んでいるからだ。メニューも外さないよう吟味していて、名前も知らない料理には極力手を出さないようにしている。スーレーパゴダ近くのガーデンゲストハウス泊。シングル3ドル。夜中、南京虫の攻撃に晒され眠れず。

■5月15日(木) 曇り @ヤンゴン
早朝、東京ゲストハウスに引っ越し。シングルエアコン付きで5ドル。駅前の旅行代理店でマンダレー行きのバスチケットを購入。1軒目の旅行代理店で最初の言い値が9,000K。値引き交渉して6,000K。一番安い店は、LEO EXPRESSの4,600Kだった。ガイドブックには一応の目安としてマンダレーヤンゴン間のチケット料金は1,500Kと書いてあるのだが、長引くインフレで値段が1年前と比べて倍以上に跳ね上がってしまっているらしい。つまり、チャットの価値が大幅に下がってしまっているということ。ガイドブックに書いてある値段は全く当てにならないと、この時はっきりと悟ったのである。今後も経済的に安定しない限り、チャットの相場は激しく変動し続けるのだろう。チャットのレートなどの情報はネットで調べるのが一番手っ取り早いのだが、その肝心のインターネットカフェが無いときている。なんでも外部の情報を遮断するために一般人はネット禁止らしい。外資系の銀行も無く、日本から送金してもらおうと思ったら日本大使館を頼るしかない。チベットのラサ、インドのベナレスでさえキャッシュカードが使えるというのに、この国で流通しているのは未だ現金通貨のみという状況なのである。まさに陸の孤島だ。こんな政策を続けている限りは、この国に未来は無いと思う。永遠に発展途上国のままだろう。やはり、ミャンマー政府はトチ狂っているとしか言いようがない。ランチはヤンゴンで一番旨いと評判のスタミナラーメン(2,000K)を食う。日本のラーメンとは若干味覚が異なるものの、十分許容範囲であった。店主の話では、このラーメンも1年前までは1,000Kだったという。ディナーはローカルの屋台でチャーハン(700K)にチャレンジ。これが油ギトギトで食べれたシロモノではなかった。ご飯はパサパサで、しかも冷えている。味付けも中華のそれではない。ドライカレーに似て異なるもの? ピラフとも違う。とにかく今まで食べた中で、間違いなく一番まずい焼飯だったと言ってもいいくらいだ。なぜ、このような食文化になってしまったのだろう。地元の人はおいしいと満足しているのだろうか。それとも、あまり食にこだわっていないのだろうか。ミャンマー人の舌はよ〜分からん。1世紀以上にも渡ってイギリスの植民地だったことも影響しているのかも知れない。もし仮にフランスの植民地下だったとしたら、あるいはもう少し日本人の舌に合う料理が増えていたと思うのだ。

■5月16日(金) 曇り ヤンゴン → マンダレー
LEO EXPRESSのオヤジにバスターミナルまで送迎してもらう。15時にマンダレーへ向けて出発。バスのほとんどが日本製の中古車。車体には漢字やひらがなで行き先や会社名が書かれてある。改装も塗装もせず、日本から輸入されたそのままの状態で走っているのだ。その割には座席が極端に狭く、体を伸ばせないのがつらい。サスもガタが来ているのか、振動がダイレクトに伝わって来る。本すら満足に読めない。道路の舗装も中途半端なままで、ところどころひびが入ったりしている。国一番の主要幹線道路にしてこの状態なのである。真夜中、外灯が無いにもかかわらず猛スピードで飛ばす運転手。そのうち事故でも起こすんじゃないかと不安になってくる。対向車とすれ違う時のクラクションがハンパじゃなく煩い。途中、バスのエンジンの調子が悪く小一時間ほどストップ。ヤンゴンの宿で南京虫に刺された痕が痒く眠れず。こんなにもストレスの溜まる旅は始めてだ。

■5月17日(土) 晴れ @マンダレー
マンダレーに着いたのは翌朝の10時過ぎ。約16時間乗っていたことになる。バスターミナルでは、十数人の宿の客引きに取り囲まれる。一瞬、ここはインドかと思った。ロイヤルゲストハウス泊。シングルエアコン付きで4ドル。疲れ果てて、朝飯も喉を通らず爆睡。夕食はマンダレー在住日本人がプロデュースしている道場食堂へ。ハンバーグ定食を食う。旨い。精気が蘇って来るのを感じた。これで1ドルは安いかも。食後のデザートに食べたNYLON ICE CREAMのプティングも絶品だった。甘さ控えめで口当たりも良く、幾らでも食べられるという感じだ。このプティングを食べるために、もう一度マンダレーを訪れてもいいと思ったほど。

■5月18日(日) 晴れ @マンダレー
マンダレーから5kmほど北にあるアマラプラに行く。全長1.5kmのウーベイン橋が有名。木造の橋で、ところどころ修理されているとはいえ、完成から200年も経過しているという。ヴィジュアル的にも絵になる橋で、望遠レンズを持って来れば良かったと後悔する。日中は暑く、行き帰りは馬車に乗らざるを得なかった。400Kを値切って300K。考えてみれば安いよなぁ。ウィーンのファイカーなんて街をちょっと一周するだけで50ユーロ以上するのだから。夜は道場食堂へ。その後、マリオネットショーに行くが、道場食堂で知り合った若者が雨の中バイクで送ってくれた。もちろん無料でだ。今回の旅で初めてミャンマー人の優しさに触れた気がした。で、肝心のマリオネットショー。職人的手捌きは見事だが、会場に蚊が多くショーに集中出来ないのにはまいった。

■5月19日(月) 晴れ マンダレー → パガン
早朝9時にパガンに出発。3,100K。相変わらず窮屈な座席。しかも、地元民で激混み。しばらく身動きが取れない状態が続く。マジでエコノミー症候群になりそうな勢いである。パガン到着16時。入域料金10ドルふんだくられる。釈然としない気分になる。ピンサルパゲストハウス泊。シングルエアコン付きで4ドル。このゲストハウスは地球の歩き方の投稿や情報ノートを読む限りすこぶる評判が良いのだが、当日はなぜか自分以外のゲストは見当たらなかった。殺伐とした雰囲気で、宿というより刑務所のようだ。オーナーが変わったのだろうか。夕食は日本食レストラン富士へ。焼き鳥が美味。しかも安い。地元のマンダレービアもなかなかいける。毎晩通うことになりそうだ。

■5月20日(火) 晴れ @パガン
ピンサルパゲストハウスの朝食があまりにもヒドいので宿を替えることにした。代わりに2、3軒宿を当たって見付けたのがミンガラバゲストハウス。ツインで10ドル。サテライトTV、冷蔵庫、エアコン、ホットシャワー完備でこのお値段である。家族経営の宿で、ご主人のホスピタリティも押しつけがましくなくGOOD。さらに朝食がひときわ豪華なのである。マンゴーに、お代わり自由のコーヒー、焼きたてのトースト。お世辞にもおいしいとは言えないのだが、ゲストに喜んでもらいたいという誠意が伝わって来る。ピンサルパゲストハウスとは雲泥の差! このような良心的な宿に限ってガイドブックに掲載されていないことが多いのだ。はっきり言って穴場っす。早速自転車を借りてオールドパガンへ。20km四方に渡って遺跡が点在しているミャンマー随一の観光地。アンコールワット、ポロブドゥールと合わせて世界三大仏教遺跡の一つにも数えられている。思っていた以上に広くて、地図を見ながら行動しないと迷ってしまいそうだ。この地域一帯には3,000もの仏塔があるそうだが、まんざら嘘でもなさそうって気がしてきた。現在でもパゴダは増殖しているらしく、建築中らしき物件も多数見掛ける。これって厳密に言うと遺跡じゃないんじゃないの?とツッコミたくもなる物件も。もちろん世界遺産にも登録されているのだが、遺跡の安売り展示場状態で、有り難味が少ない。最後は食傷気味になってしまった。自転車で体力を使うにもかかわらず、十分な水分を補給せずに出掛けたのも失敗だった。暑さと過労でダウン。

■5月21日(水) 晴れ @パガン
シェアメイトのS君にホッパ山ツアーへ行こうと誘われるが、大した理由も無く断ってしまった。もう少し日程に余裕があれば参加しただろうけど。やはり毎日のように移動が続く旅というのは疲れる。午後からニャンウーの街を散策。マーケットや近くの村をカメラ片手に徘徊するも、これといった被写体に巡り合えず。それでも、気が付いたらフィルム2本消費していた。この国の人達は、カメラを向けても露骨に嫌がることがなく、むしろ笑顔が返って来ることが多い。露骨に金を請求することも無い。助かる。

■5月22日(木) 晴れ @パガン
午前中はニューパガンへ。本当に何も無い村だった。唯一の見所とも呼べるローカナンダパゴダだが、この国では至る所にパゴダがあり、既に新鮮でも何でもなくなっている。夕飯はリッチにイタ飯。ボロネーゼスパ(1,400K)。思ったほど不味くはない。ミャンマーでもある程度お金を出せば、それなりに美味い料理が食えると知ってホッとする。それにしても、今日は一日暑かった。猛暑という言葉がぴったりくる。エアコンの効いている部屋に戻った時は、大袈裟ではなくそこが天国に思えた。

■5月23日(金) 晴れ パガン → インレー
午前4時半起床。宿の女主人が朝食を用意してくれていた。パンとお菓子。味の方は正直美味くはなかったが、その心遣いが嬉しかった。午前5時にパガンを出発。バスは例によって満員。途中、タイヤがパンク。こういったトラブルは馴れてしまった。もうどうにでもなれという心境。午後5時にインレー到着。疲労困憊。NBAのプレーオフを見たいがため衛星TV付きの宿(10ドル)に泊まる。が、BBCとMTVしか受信出来なかった。肝心のスターTVが入らない。レセプションの人に文句を言っても「分からない」の一言。これでは10ドル払った意味が無いではないか。シャワーのお湯の出もイマイチ。窓から覗く湖の風景だけが慰めだった。

■5月24日(土) 晴れ @インレー
インレー湖巡りに出掛ける。ボートを丸一日チャーターして5,000K。入域料金が別途3ドル必要。湖の民と呼ばれるインダー族の高床式集落を見学。輪っかをくぐり抜ける猫で有名なカーベー寺院、インレー最大のパドンヴーウ寺院なども巡る。帰りにシルバーショップに寄り、ピアスを衝動買いしてしまった。2個で4ドル。激安。昼食はシャンヌードル(300K)。豆腐を細くしたような、何とも歯応えの無い黄色い麺で、珍妙な味わい。美味いとも不味いとも判別がつかない。夕飯は地元で旨いと評判のイタ飯屋、ゴールデンカイトでパスタを食う。及第点。

■5月25日(日) 晴れ インレー → カロー → タージィー → ミッティーラ → ヤンゴン
午前9時インレー出発。カローまでソンテウで1,000K。さらにタージィーまで3,000K。完全にボラれている金額だが、いくら値切っても負けてくれない。他に移動手段が無いので、向こうも強気なのだ。仕方無く相手の言い値で妥協するしか無い。ソンテウの荷台の上に乗せられたので、思いっきり日に焼けてしまった。タージィー到着は午後2時半。ヤンゴン行きの列車は午後7時まで4時間以上待たなくてはならない。タージィーからソンテウで1時間ほどの町、ミッティーラからヤンゴン行きのバスに乗れるという情報を入手し、早速移動。300K。ミッティーラに到着したのはいいが、ヤンゴン行きのバスは満席。仕方無く、パガン発ミッティーラ経由ヤンゴン行きのバス(4,600K)を予約。午後8時に無事ミッティーラを出発することが出来た。しかし、このバスが最悪。夜行バスにもかかわらず、ミャンマー産の歌謡曲を大音量でかけまくるのだ。ちょっといい加減にしてくれ〜と心の中で雄叫びを上げる。乗客はあきらめたのか、こんなことはよくあることなのか、文句も言わず寝ている人がほとんど。我慢が出来ず、「もう少し静かにしてくれませんか」と運転手に声を掛ける。だが、英語が通じない。ジェスチャーを交えて、煩くて眠れないという意志を伝え、どうにか音楽は収まった。が、今度は2時間に1回のぺースでバスが故障。よっぽどバスを乗り換えようかと思ったが、代わりのバスが来るかどうかも確信が持てず、結局最終目的地まで乗り続けたのであった。

■5月26日(月) 晴れ @ヤンゴン
ヤンゴンに着いた時は、既に正午を回っていた。心身共にボロボロ。バスターミナルに着くなり、客引きが煩く付きまとって来る。うぜ〜よ、お前ら! オレにかまうな! 寝不足と疲労で神経が苛立っているので、つい汚い言葉が口を付いて出る。クリアーオフ!(失せろ!)と言って蹴散らす。市内までタクシーで3ドルだが、これがローカルバスだとわずか20K(2円)なのだ。迷わずバスで移動。もしかしたら世界一安いバス料金かも知れない。渋滞の中を1時間ぐらいかけてスーレーパゴダに到着。早速ビーマンエアラインのオフィスでリコンファーム。ホワイトハウスゲストハウス近くのアイスクリーム屋でプティングをほうばりながらホッと一息つく。夕飯はS君と高級中華料理を食う。高級と言っても、ビールとカシューナッツ炒めで1,000Kもしないのだが。飯が不味い土地では、中国料理に逃げるに限る。

■5月27日(火) 晴れ @ヤンゴン
パスポートの増補をするため、日本大使館に赴く。金額を聞いて驚いた。手数料136K。わずか20円である。日本でやったら幾らかかるだろう。おそらく5千円は下るまい。凄く得した気分。これだけでミャンマーへ来た甲斐があったというものだ。帰りにシェータゴンパゴダへ。入場料5ドルと聞いて、躊躇する。結局外から眺めるだけにした。我ながらケチだと思った。帰りにヤンゴン鉄道駅で写真撮影。駅のホームで寝ている人多数。数年前に行ったインドのデリー駅を彷彿させる。ヤンゴンはとくにベンガル系の顔が多い気がする。仕上がった写真を見せて、「ここはインドです」と言っても大抵の人は信用するに違いない。駅近くの陸橋の下で爪切り屋を発見。爪切りだけの筈が、頼みもしないのに全身マッサージを始める。気持ちが良かったのでそのまま成り行きにまかせると、最後に5ドルをくれとほざいてくる。そんなFUCKな料金は払えないと言い張り、値段交渉の末2ドルに値切る。宿の本棚の中からR・A・ハインラインの「夏への扉」を見付ける。勝手に拝借。代わりに小生の持参していた中島らもの文庫「頭の中がカユいんだ」を置いて来る。真夜中頻繁に停電し、落ち着いて本も読めず。エアコンも作動しない。ヤンゴンは慢性的な電力不足らしく、自家発電に頼っているホテルも多いそうだ。

■5月28日(水) 晴れ ヤンゴン → バンコク
はやる心を抑えタクシーで空港へ。チャットが2,000Kほど余ったのでドルに再両替しようとしたが、やはり無理だった。タイへ持って帰っても紙屑と同然なので、市価の倍以上の値段もする飲みたくもない不味いオレンジジュースを買って使い切ってしまった。だいたい空港に銀行が無いというのが納得いかない。最後までミャンマー政府に対する憤りが消えることは無かった。午後2時発のビーマンエアラインでバンコクへ。どんなにこの日を待ちわびていたことだろう。やっとヤンゴンを脱出出来るのだ。今夜は美味いタイ飯をたらふく食えると思うと自然と頬も緩む。2週間足らずの駆け足旅行では、この国の良さは分からないのかも知れない。しかし、どうやら一生分からないままで終わりそうだ。なぜなら、もう2度と再びミャンマーの土を踏むことは無いと思うから。多分。

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